命をいただく事…

12月17日、若いメス鹿を自分で捌きました。

 

数ヶ月前、突然降って来たように猪の屠殺が観たい衝動に駆られ、YouTubeを観漁り、ウリボーが罠にかかってて威嚇してくるところに電気をあて失神させて首から放血、仰向けにし胸を開きお腹の皮を下まで裂き、喉の辺りから肛門までごっそり内臓を取り除くのを観たのです。

さっきまで生きてた生き物。

内臓を取ると中がピンク色のお肉。その瞬間に、美味しそうな猪に変化。。。

 

日々私は、死んだ魚の内蔵を見てもグロいなぁとは思わず、刺身にした時、見栄え良くする為にいかに綺麗に内蔵物を出さずに処理するかしか考えません。

 

最近、ふと疑問が湧いてきた。

 

魚は天然が美味しいのは分かってるけど、野を駆け巡る野生動物を獲って食べる事と、スーパーに並んでるお肉を食べる事の違いは?

 


前者は可哀想な感じがするのに対し、後者は、いかに新鮮で脂身が多くも少なくもないものを見分けて買う。これは人間と野獣が哺乳類同士という近い存在だから可哀想と思うのか…

 


結局、胃袋に収めるのだから一緒じゃないだろうか。

 


お客様に北海道の鹿ハンターがいらっしゃり、自分で獲って処理した鹿のお肉を時折送って来てくださる。最初はちょっと怖い感じがしてたけど、上手に焼き上がり食べる頃にはそんな気持ち何処かに行ってしまう。

 


野を駆け巡り、鹿も人間に殺されない様に必死で逃げる。それを猟銃て急所目掛けて射つ。

 


温かい鹿の脇に包丁を入れた時の、皮膚を割く“プチ”という感覚が獣から肉に変化する瞬間だった。胴体から前脚、後ろ脚をもぎ取り、皮を剥いでシンタマを取った。その後背中に2本ある背ロース、最後に心臓をもらって帰った。

 


きっと、普通はこんな事考えないと思うけど、死んでても元々生きてた動物達の命をいただく以上、目を背けてはいけない様な感じがした。ちゃんと現実を受け止めて理解し、簡単に命を奪って料理にはできない。

 


またいつかこんな日が来る時に、動物の捌き方を身につけて、美味しくジビエ料理をお出しできる様、この次の段階ではジビエ料理を教えてもらえる人を探すのです。